たとえば、彼女に夕食を作る夜。
動画では、フライパンの中で丸く焼けていた。皿に移した自分のパンケーキは、どう見ても丸くない。片側だけ長い。地図なら、国境をめぐって揉めそうな形をしている。
ここで「フライパンが悪い」と言うこともできる。「いつもはうまくいく」と、存在しない実績を足すこともできる。
「形は自由にしてみた」
彼女が笑う。「ずいぶん自由だね」。こちらも笑う。食べてみる。味は悪くない。見た目の救済は、今日は諦める。
料理の出来はともかく、その夕食は楽しい。
恋人の前でまで、ずっと面接を続けなくていい
好きな人には、よく思われたい。服を選ぶ。店を調べる。少し気の利いたことも言いたい。その手間には、相手を喜ばせようとする楽しさがある。
ただ、どこからか、何も失敗してはいけない時間になる。見ていない映画にも「ああ、あれね」と頷く。冗談が滑ったら、意味を解説する。相手は笑う代わりに、こちらの面子を片づける仕事を引き受ける。
頭の中では面接が続いている。頼りなく見えなかったか。他の男なら、もっとうまく返すのではないか。
嫌われたくないのか。「役に立つ男でいなければ、愛されない」と思っているのか。以前の関係で、失敗を何度も馬鹿にされたのか。何を怖がっているかによって、この面接の意味は変わる。
審査員の席を自分で用意していることもある。でも、今の相手が本当に見下し、嫌だと伝えても笑いものにするなら、「自分が気にしすぎる」で済ませない。そこで必要なのは、傷つくことに慣れる練習ではなく、その扱いをやめるよう話すことです。話しても続く相手にまで、無理に隙を見せる必要はない。
一方、相手がまだ何も責めていないなら、「その映画、見てない。どこがよかった?」から会話を続けてみる。私は、好きな人との夜を、ずっと自分の価値を証明する場所にはしたくありません。
知らない顔を見られるのも、案外おもしろい
普段は落ち着いている人が、カラオケで妙に難しい曲を選んで、最初の高音に届かない。歌っている本人が先に笑ってしまう。聴いていた相手も、つられて笑う。
「こんな顔もするんだ」と思う。
得意なことを見せ合うだけでは、出てこない顔です。
笑いの種になるのは、失敗だけでもない。買い物帰りに、袋から長ねぎだけが堂々と出ている。小声で言った妙な言い回しを、相手がもう一度繰り返す。二人でテレビを見ていて、同じ場面に突っ込んでしまう。
誰かに説明すると、たいして面白くない。けれど、二人には通じる。あとから同じ言葉を言うだけで、その日のことを思い出して笑える。
こちらが何をおかしがっているのか、相手にも伝わった。その瞬間がうれしい。
「一緒に笑う」と「笑いものにする」は、席が違う
彼女の言い間違いが面白かった。その場で二人とも笑った。それを、友人の集まりでもう一度披露する。
今度は、彼女が笑っていない。
最初の夜は、二人で同じ出来事をおかしがっていた。次の夜は、彼女が笑いの材料になっている。自分は話し手で、友人は観客。彼女には、逃げ場のない役が割り振られている。
「前は笑ってたじゃん」は、今もその話をしていい理由にはならない。
見た目、収入、性的なこと、本人が気にしている癖。そこを突けば場が盛り上がるとしても、帰り道に隣を歩く人が黙っているなら、ずいぶん高い笑いを買ったことになる。
これは彼女にだけ求める話でもありません。男性の失敗なら何を言っても平気、ということにはならない。友人の前では笑って流せても、あとで「その話は出さないでほしかった」と伝えたくなることはある。
相手が嫌がったときに、「冗談も分からないのか」で終わらせない。その冗談を続けるために、相手へ我慢を要求している。
面白い出来事を、二人の間に置く。どちらか一人を、観客の前に置かない。私は、その違いを大事にしたい。
ふざけられる人とは、真面目な話もしたい
何でも笑いに変えれば、気楽な関係になる。そうとも言い切れません。
相手が「最近、一緒にいても話を聞いてもらえていない気がする」と言ったとき、「はいはい、反省会ですね」と返す。気まずい話を笑いで切り上げるために、相手の言葉を茶化している。
こちらは空気を軽くしたつもりでも、相手は続きを話せなくなる。
頼んだことを放置した。その埋め合わせを、かわいい顔や面白い返事で済ませようとする。何度も続けば、笑うことまで嫌になる。ふざけている間に、片づける人は決まっているからです。
「今は、ちゃんと聞いてほしい」と言われたら、冗談を止めて聞く。笑いを捨てるのではなく、その話が終わるまで待つ。
いつも深刻な人になりたいわけではない。むしろ、難しい話もできるから、くだらない話に戻れる。笑っている最中にも、嫌なことは嫌だと言える。そこで顔色を変えて罰を与えない。そのほうが、またふざけやすい。
楽しい夜は、立派な夜でなくていい
高い店も、旅行も楽しい。でも、毎回そこまで用意しないと楽しめないなら、普通の火曜日をどう過ごすのだろう。
帰りが遅くなって、夕食は簡単に済ませる。湯を沸かしている間に、昼間見かけた変なものを話す。相手が思いがけない返しをする。疲れているのに、そこで笑ってしまう。
大したことはしていない。誰かに見せる写真もない。それでも、その人と過ごしたかったと思える。
やがて、「おかえり」と言い合う暮らしを望むなら、私はこういう時間も思い浮かべたい。いざというときに支え合うことは大切です。その相手と、何でもない日に過ごすのが楽しいことも、大切にしたい。
どれほど頼れるかだけで、好きな人を選んでいるわけではないでしょう。声を聞くと話したくなる。妙なところで笑うのが好きだ。こちらのくだらない話に、もっとくだらない話を足してくる。その人といると、自分にもそんな返事が出てくる。
最初のパンケーキに戻る。
二枚目も、やはり丸くならない。「国が増えたね」と言われる。皿の上に並べてみる。たしかに、増えた。
次は、もう少し丸く焼けるようになりたい。
でも今夜は、これを二人で食べる。