男らしさとは何か。声が低いことか。身体が大きいことか。動じないことか。誰かを守れることか。思い浮かぶ姿はあっても、その姿を日々の行動に置き換えると、答えは急に難しくなります。
大声で自分の意見を通す人が、間違いを認める場面では黙る。どんなことにも平然として見える人が、家では不機嫌で周囲を動かす。反対に、口数は多くなくても、約束した日に来る人がいる。問題が起きれば逃げずに話し、自分の非を認め、必要なことをする人がいる。見た目の印象と、実際に頼れるかどうかは、必ずしも一致しません。
私は、もっと強く、もっと男らしくなりたいと思っています。ただ、その願いを曖昧なまま持っていると、他人が用意した姿を追いかけることになる。何を鍛え、何を守り、何を引き受けるのか。自分の言葉で決めたい。
ここで考える男らしさは、他の男性を採点するための規則ではありません。自分がどんな男性でありたいかを選び、その選択を行動で確かめるための基準です。
ヘクトルが、兜を脱いだとき
ホメロスの『イリアス』第6歌。トロイアの戦士ヘクトルは、妻アンドロマケと幼い息子に会います。妻は彼を失うことを恐れ、戦い方についても訴える。ヘクトルは家族を案じながら、戦いを避ければ人々の前で恥を感じる、と語ります。息子に手を伸ばすと、子は青銅の兜と飾りに怯える。そこで彼は兜を脱ぎ、地面に置き、息子を抱いて口づけします。[1]
迷いや矛盾も含む場面です。私は戦争の英雄像を手本にするより、この兜を脱ぐ動作から、身近な人への振る舞いを考えたい。
私がまず目を留めるのは、兜を脱ぐ動作です。外で必要だった姿が、目の前の相手には恐怖になる。そのとき彼は、相手の反応に合わせて自分の振る舞いを変える。息子に戦士の威厳を理解させようとはしない。
強くなると、強い姿を保つことまで義務に感じることがあります。しかし、守りたい人の前でも常に威圧的でいるなら、何のために力を持つのでしょう。外で踏ん張る力と、近しい人へ丁寧に接する力を、同じ人間が持っていてよい。ここに、私が選びたい強さの一つがあります。
その力は、何に使うのか
身体の力には価値があります。重いものを運ぶ。転びそうな人を支える。疲れる場面でも必要なことを続ける。自分の身体を使えることは、生活の自由を増やします。私は身体を強くしたいという願いを、恥じる必要はないと思っています。
ただ、身体の大きさや力だけでは、人柄は分かりません。持っている力を誰に、どんな場面で使うかが問われます。反論しにくい相手を黙らせるためか。酔った友人を安全に帰すためか。自分が腹を立てたときにも、その力の使い方を選べるか。
たとえば、恋人との言い争いで立ち上がり、相手に近づき、出口を塞ぐ。手を出していなくても、相手は圧迫を感じるかもしれない。体格に差があるなら、その差も含めて自分の振る舞いを見る必要があります。「殴っていない」で済ませれば、自分の力が何をしているかを見落とします。
力を身につけることと、力の使い方を学ぶことは、一緒に進めたい。相手が自分を恐れて従ったのか、理由を理解して同意したのか。その違いを見られる人でいたい。自分より弱い立場の人に接するときこそ、普段語っている強さの中身が出ます。
落ち着いていることと、何も言わないこと
何があっても表情を変えない男性に、頼もしさを感じることがあります。慌てずに状況を見る力は必要です。しかし、静かであるだけでは、状況を処理しているかどうかは分かりません。話すべきことを飲み込んだまま、後で近しい人に怒りを向けているかもしれない。
友人が、皆の前で恋人を何度もからかう。笑いが起き、自分もその場にいる。「まあ冗談だから」と合わせるのは簡単です。しかし嫌なものは嫌だと思ったなら、「その話はもうやめよう」と言えるか。空気が一瞬止まることを、自分で引き受けられるか。
理不尽なことに腹が立ったときは、特にここが問われます。怒りを、その後の行動にどう変えるか。自分の怒りを周囲に処理させるのか、具体的な要求にして伝えるのか。平静な顔より、その後に何をしたかを見たい。
守るとは、相手の人生を取り上げないこと
大切な人を守りたい。その気持ちは、自分を鍛える理由になります。ただ、守るという言葉は便利なので、相手を支配するときにも使えます。「心配だから」と交友関係を制限する。「危ないから」と相手の希望を一度も聞かずに決める。自分の不安を、相手の自由を奪う理由にする。
支える場面では、まず相手の困りごとを確かめる。「一緒に行こうか」「今は話を聞けばいいか」「誰かに相談する手伝いが要るか」。聞くことは判断を放棄することではありません。必要な情報を得て、相手に合った助け方を選ぶことです。
守ると言うなら、助けを受けた相手が実際に楽になったかを見る。自分の不安が晴れたかだけで、支えたことにはしない。
誰も見ていない日の責任
責任感は、大きな決断だけで現れるものではありません。借りたものを返す。使った場所を片づける。約束を変えるなら相手に伝える。共同生活で必要なことに、自分から気づいて動く。派手さはないが、こうしたことを毎回誰かが代わりにしているなら、生活はその人の責任感で支えられています。
「自分は大きなことを考えている」と言いながら、身近な約束を軽く扱わない。恋人や家族が自分の生活を整えてくれることを、当然にしない。大きな理想を持つことと、目の前の後始末をすることは両立します。
失敗した後にも、責任は続きます。時間を間違え、友人を長く待たせた。「忙しかった」と言えば説明にはなる。しかし、待たせた時間は戻らない。謝り、次はどう確認するかを決め、実際に変える。それがなければ、謝罪は同じことを続けるための手続きになる。
責任を引き受ける人にも限界はあります。引き受けられないことは早く言う。自分だけでは足りないなら協力を求める。必要な役割を分ける。何でも背負うと宣言するより、最後まで果たせる形を作るほうが、相手は頼れます。
性的な魅力を、征服の数で測らない
魅力的な男性でありたい。好きな人に求められたい。性的な関係を楽しみたい。それは、この話から切り離す必要のない願いです。身体を整え、清潔にし、相手と向き合い、自分の望みを伝える。性的な魅力にも、日々の態度が表れます。
けれど、相手の反応を自分の価値の採点にすると、関係は苦しくなります。断られたとき、相手の選択として受け取れるか。不機嫌になって再び迫るのか。友人に相手を貶して、自尊心を取り戻そうとするのか。望みが通らなかった場面にも、自分が選ぶ男らしさは出る。
親密な関係では、確認することも大切です。相手が望んでいるか、何が心地よいか、自分は何を望むか。察してもらうことだけに頼らず話す。相手の境界を受け入れ、自分の境界も伝える。自信があるように振る舞うために、相手の言葉を無視しない。
助けを求めると、自分の価値は下がるのか
悩みを言わずに持ちこたえた経験がある人ほど、誰かに話すことを負けのように感じるかもしれません。「この程度で」「自分がしっかりすれば」。そう考えるうちに、何を解決しなければならないのかまで曖昧になることがあります。
日本成人991人を対象にしたオンライン調査では、女性より男性のほうが援助要請に消極的な傾向が見られました。また、援助を避けるスタイルと心理的不適応、自立的なスタイルと心理的適応に、それぞれ関連する傾向が示されています。これは一時点の調査で、男らしさが原因だと証明した研究ではなく、すべての日本人男性の姿でもありません。[2]
それでも、「頼るか、頼らないか」だけで考えるのは粗いと思います。誰に、何を、どこまで頼むか。自分が引き受ける部分をどう残すか。助けを求める行動にも、判断と責任があります。
たとえば親の世話が必要になったとき、一人で全部抱えれば頼もしく見えるかもしれない。しかし、睡眠を削り続け、連絡も雑になり、必要な手配が遅れるなら、家族にも影響が出ます。「通院の付き添いは自分がする。今週の買い物は手伝ってほしい」と具体的に話すほうが、生活を支えられる。
正直さは、言いにくい場面で試される
正直であることは、思ったことを何でも相手にぶつけることではありません。「本音だから」と言えば、残酷な言葉にも免罪符をつけられる。本音の扱い方にも責任があります。
約束を破った。お金の使い方について隠した。大切な人の話を聞いていなかった。そんなとき、相手が気づくまで待つのか、自分から伝えるのか。「怒らせたくなかった」と説明しても、隠した結果、相手は事実を知らないまま判断させられている。
「自分がしたことはこれです。ここは間違っていました。こう直します」。具体的に言う。相手がすぐ許すとは限らない。信頼が戻るまで時間がかかることもある。それを受け止めるところまでが、謝る行動です。
自分が傷ついたときにも、正直さは要ります。「その言い方は嫌だった」「この約束は守ってほしい」。冗談でごまかし、相手を試し、不機嫌で気づかせようとするより、言葉にして伝える。その会話をする覚悟を、自分の強さに入れたい。
誰に見られなくても、同じ選択をするか
ヘクトルの場面で、もう一つ気になるのは、他人の目への恐れです。誰かを守る願いと、臆病者と思われたくない気持ちが、同じ人の中にある。私たちの日々にも、この二つは混ざります。
友人に煽られて、飲みたくない酒を飲む。危険だと分かっている行動に乗る。断れば弱いと思われる気がする。そこで誰のために動いているかを問う。自分で選んだ価値のためなのか、その場の評価を落としたくないだけなのか。
他人からの評価を一切気にしない人になる必要はありません。ただ、評価を得るために、大切なものを危険にさらすなら、その選択は見直したい。家族への約束、安全、健康、相手への敬意。自分が守ると決めたものを、その場の笑いに渡さない。
誰も見ていなくても同じことをするか。これを問い直すと、自分の基準が少しはっきりします。人がいるときだけ紳士で、二人きりになれば乱暴になるのか。褒められなくても約束を守るのか。男らしい姿より、繰り返される選択を見たい。
自分が選んだ強さを、生活に置く
私にとって、強くなりたいという願いには、身体、意志、明晰な頭、落ち着きがあります。そして、学び続け、自分の可能性を広げたい。今の自分がすべて持っている、と言いたいわけではありません。だからこそ、何を身につけたいかを言葉にしておきたい。
その基準は、帰宅した後にも使えます。外での苛立ちを家族に処理させず、必要な話を自分からする。守ると決めた人の前で、自分の振る舞いに責任を持つ。強さが役に立つかは、近くで暮らす人も知っています。
男らしさを考えるなら、魅力的な姿だけを選ばないでください。その姿に伴う責任も選ぶ。力を持つなら使い方を考える。守ると言うなら相手の声を聞く。正直でありたいなら、自分に不利な事実も伝える。落ち着きを望むなら、不機嫌を周囲に処理させない。
外で踏ん張り、必要なときには兜を脱ぐ。その両方ができる男性でありたい。何を男らしいと呼ぶかは、自分で決められます。そして、その言葉の重さは、今日、近くにいる人への振る舞いから決まっていきます。
出典参考資料・文献
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