人生を何に使うか。大きすぎて、答えを出すのを後回しにしたくなる問いです。けれど、答えを保留している間にも、時間の使い方は決まっています。昨日の夜、先週の休日、今年の前半。何をしたかを見れば、今の自分が人生を何に使っているかは、ある程度分かります。

「自分はもっとできる気がする」。私にも、その感覚があります。もっと学べる。もっと強くなれる。もっと広い世界で何かを作れる。しかし、可能性を感じることと、可能性を使うことの間には距離がある。頭の中では大きな人生を描きながら、実際の時間は同じように過ぎていく。その距離を、いつかの自分に任せたくない。

ここで問いたいのは、どんな人生なら立派に見えるかではありません。限りある人生を、何に使うのか。自分が価値を感じるものは何か。何を作り、誰と生き、どんな日々を繰り返したいのか。そのために何を諦め、どんな責任を引き受けるのか。

今回の手がかりは、三島由紀夫です。彼の鋭さを借りて、自分がまだ曖昧にしている選択を見たいと思います。

三島から、保留している時間を問う

三島が『葉隠』を読み解いた『葉隠入門』について、新潮社は、死を中心に据えた思考を、自由や情熱、生きる力につながる逆説として紹介しています。この位置づけを出発点に、私は「終わりがあると知っていて、何をいつまでも保留するのか」と問いたい。以下は、出版社の紹介を手がかりに考える私自身の人生論で、三島の思想全体の解説ではありません。[1]

三島の死を、生き方の完成の手本にはしません。私が選ぶのは、生きている時間を使い、作り、関わることです。劇的な一瞬より、選んだものへ長く責任を持つ日々に目を向けます。

「もっとできる」を、何に変えるか

可能性という言葉は、まだ何も失敗していない自分を守ってくれます。書けば良い文章になるかもしれない。学べば別の世界へ行けるかもしれない。何かを始めれば人の役に立てるかもしれない。試す前なら、どれも大きく見えます。

そこで、「もっとできる」の後を具体的にする。何を、誰に、どんな形で届けたいのか。自分が作りたいものは本なのか、場所なのか、仕組みなのか。学びたいことは、何をできるようにするのか。広い世界とは、実際にどこへ行き、誰に会うことなのか。

具体的にした途端、足りないものが見えるでしょう。それは目標が小さくなったからではありません。目標が、準備できるものになったからです。大きな願いを持つなら、その願いの最初の形も決める。形のない可能性に、いつまでも住み続けない。

称賛されなくても、その日々を選ぶか

ある人生を望むとき、その人生のどの部分に惹かれているかを確かめたい。作ることそのものか。完成品を見せる瞬間か。周囲から才能を認められることか。どれも混ざるものですが、混ざったままでは、続ける理由を見誤ります。

本を書きたいなら、読者に届く喜びだけでなく、書いては直す時間を選ぶことになる。遠くで暮らしたいなら、景色だけでなく、慣れない言葉で生活を整える日々がある。親密な関係を築きたいなら、愛される場面だけでなく、意見が食い違った後にも話す時間がある。

「誰にも褒められなくても、これに時間を使いたいか」と問う。永遠に無反応でも続けろという意味ではありません。人に届けるものなら反応を見て直す必要がある。ただ、称賛だけが報酬なら、報酬が来ない期間に、何のためにいるか分からなくなる。

完成した姿だけでなく、その姿になるまで繰り返す日々を見る。そこに意味を感じるなら、苦労にも理由ができます。日々の中身は嫌いで、周囲の評価だけ欲しいなら、望んでいるものの名前を正直に変えたほうがよい。

野心を持つなら、何を広げたいのか

大きなことをしたい。その願いを、最初から小さく言い直す必要はないと思います。今の能力では足りないことを目指し、学び、試し、届く範囲を広げる。野心は、その仕事に向かう力になります。

ただ、「大きくなりたい」だけでは、何を増やすかが分からない。人に届く数か。自分が作れるものの質か。生活の自由か。家族を支える余力か。自分が理解できる世界の広さか。望むものによって、必要な選択は変わります。

他人と比べて勝ちたい気持ちもあるでしょう。比較は、自分の不足に気づく手がかりになります。しかし、誰かの成功を見るたびに方向を変えていたら、時間は競争相手に配られていく。昨日は作家、今日は旅人、明日は事業家。憧れは増えるが、積み上がる仕事はない。

野心を持つなら、今は何を伸ばすかを決める。そして、その目標が達成されたとき、何が実際に良くなるのかを答える。自分以外の人にも価値が生まれるなら、その価値を具体的にする。規模を求める理由まで、自分の言葉で持ちたい。

選ぶとは、別の時間を手放すこと

一晩を本に使えば、その晩に別のことはできません。休日に何かを作れば、同じ時間を遊びには使えない。遠くへ行くなら、近くにいる人と会う機会は減る。選択には、手放す側もあります。

ここを曖昧にすると、「全部大切だから」と言いながら、結局何も変わりません。何かに時間を渡すなら、何の時間を減らすかまで決める。見なくても困らない画面なのか。気乗りしない付き合いなのか。複数抱えた目標の一つなのか。

犠牲の大きさだけで、選択の真剣さを測らないことも大切です。睡眠を削れば熱意があるように見えるかもしれない。しかし翌日、集中できず約束も雑になるなら、その削り方は目標を支えていません。苦しくすれば価値が増える、というものではない。

自分で使い方を変えられる時間と、人との約束によって支えられている時間も分ける。家族と決めた予定を、何も相談せず取り消す。恋人との時間を、勝手に自分の夢への資金にする。それを代償と呼んでも、払っているのは相手です。自分の野心のために、誰が何を負担するかは見ておく必要があります。

現状を受け入れることが、いつの間にか諦めに変わっていないか。自分を受け入れることと、成長を諦めることの境界も、選ぶ前に確かめたい問いです。

人間関係も、人生の中心になり得る

「人生を使う」と聞くと、作品や事業のような、外に残るものを考えやすい。しかし、誰とどんな関係を築くかも、長い時間を使う選択です。そこを成功後の余白に回してしまうと、近しい人はいつまでも順番を待つことになる。

友人と会う。親の話を聞く。伴侶と生活の希望を話す。子どもがいるなら、その日々に関わる。これらは、何も達成していない時間ではありません。自分が大切にすると言った人と、実際に関係を作っている時間です。

ただ、周囲の希望を全部引き受ければよいわけでもない。家族を大切にしながら、自分の挑戦を選ぶことはできます。そのためには、使いたい時間と、引き受ける役割を具体的に話す。何をするか、いつまで試すか、どう見直すか。相手に察してもらうだけでは、約束になりません。

何を成し遂げたいかと同じくらい、どんな人と、どんな自分で暮らしたいかを考える。その二つが衝突するなら、衝突を見ないふりにしない。自分の人生に入れたいものは、自分で一緒に置ける形を作る必要があります。

選んだ方向へ、実際の時間を渡す

人生の方向を選んでも、そのための時間が一週間に一度もないなら、選択はまだ言葉の中にあります。学びたいものを、いつ学ぶか。会いたい人に、いつ連絡するか。作りたいものに、どの時間を渡すか。

一つのことに時間を渡せば、別のことは減ります。ここで迷いが具体的になる。何を残すか。何を断るか。何のために予定を変えるか。人生の大きな問いは、その配分に降りてきます。

一か月、選んだものへ時間を渡してみる。その日々を本当に続けたいか、必要な条件は何かが見えてくる。考えるだけでは分からなかった部分を、過ごした時間から確かめます。

一度選んだ方向も、確かめ直す

決断した後に迷わないことだけが、覚悟ではありません。続けてみた結果、望んでいた日々と違うと分かることもある。必要な条件が変わることもある。その事実を無視して続ければ、決断を守っているようで、過去の自分の面子を守っているだけになる。

決める時点で、何を確かめる期間なのかを持つ。三か月で何を一つ作るか。半年で何を学び、どこで使うか。進み具合だけでなく、生活や人との約束がどう変わったかも見る。数字で見える結果と、自分が選びたい日々の両方を確かめます。

うまくいかなかったときは、目標、方法、条件を分ける。目標には意味があるが、方法が合わないのか。条件が足りないのか。実際にやってみて、目標そのものを選び直したいのか。全部を「自分には無理だった」にまとめると、得た経験まで使えなくなる。

やめるなら、その後を決める。途中で関わった人への説明や、引き受けたことの整理もする。方向を変える自由には、前の選択を片づける責任が伴います。その責任を果たせるなら、選び直すことまで敗北にする必要はない。

完成した人生像より、積み上げる時間

三島には、自分自身について語った文章もあります。筑摩書房の『私の遍歴時代』は、同名の文章や「わが思春期」などを集めたエッセイ集です。人生の方向を考えるなら、完成した作家の印象だけでなく、自分の歩みを言葉にした作品にも目を向けたい。[2]

完成した作家の印象に惹かれた後には、その歩みを語る文章も読んでみたい。人の人生を一枚の強い写真のように見ると、その途中にあった時間が見えなくなる。自分についても同じです。立派な姿だけを想像すると、実際にその姿へ近づくための平凡な作業が、物足りなく感じられる。

しかし、文章を直す夜、知らないことを調べる朝、決めたことを実行する休日がなければ、作りたいものは残りません。関係を築くなら、約束に間に合うことや、気まずい話を最後まで聞くことも必要です。人生の意味は、特別な瞬間にだけ入っているわけではない。

時間を使った痕跡を見る。読み終えただけでなく、理解したことを自分の言葉にしたか。計画しただけでなく、何を作ったか。大切だと言った人に、どんな行動をしたか。自分の願いを、昨日の具体的な時間にまで下ろして考える。

私は、この場所に何を使うのか

私にとって、このサイトも時間の使い方を選ぶ場所です。学びながら書き、自分の見方を確かめ、読者へ渡す。その仕事を続けたい。強くなりたいという願いを、調べる時間と書き直す時間へ変えていきます。

あなたが使いたいものは、別のものかもしれません。本でも、旅でも、人との関係でもいい。ただ、大切だと言っているものと、実際に時間を渡しているものが離れているなら、その距離は見ておきたい。

次の一か月を、何に使うか

一生の答えが決まるまで、時間を止めておくことはできません。それでも、次の一か月に何を増やすかは決められます。作るもの、学ぶもの、関わる人。そのために何を減らすかも選ぶ。

一か月後、使った時間を見る。何が残ったか。どんな日々だったか。続けるなら、次の時間を渡す。変えるなら、関わった人への責任も片づけて選び直す。

人生の方向は、一度の宣言で完成するものではありません。選んだものへ実際に時間を渡していく。その配分に、あなたの答えが現れます。

出典参考資料・文献

本文で参照した資料です。リンクは新しいタブで開きます。

  1. 01三島由紀夫『葉隠入門』:新潮社による書籍紹介と目次
  2. 02三島由紀夫『私の遍歴時代』:筑摩書房による書籍紹介